2005年05月07日

FATES

DESTINY PHASE-29

スピッツの歌が結構好きなんですが、詩の意味するところを汲み取ることがなかなかできません。それでも“禅問答のようだ”とも評されるその歌詞が、解らないのに好きなんです。

おそらく、私自身が雰囲気と感性で流されている水の様な存在だから。理屈はないんです。

きょうのお話を観ていて、それと似た感覚をふと得ました。


Bパート終盤、デュ議長がソファーの脇にあるスイッチに手をかけると、流れ出た曲はラクス・クラインの“水の証”でした。


『……誰もが辿り着けない それとも誰かの心の中に

 水の流れを鎮めて くれる大地を潤す調べ いまはどこにも無くても
 
 きっと自分で手に入れるの いつも、いつか、きっと』


絶対や完璧などあり得ない事を、ストーリーも、作品そのもの(脚本)も、暗に示しているのでしょうか。意図するしないを超えて。



結局、三回観ました。が、“雰囲気と感性”に流されて生きている自分が、今後何かを想うきっかけにはなるのかもしれませんが、正直いまの時点では訳が解りません。

そもそも、物語として理解する方が最初から困難なのか、それともただ観ている自分が愚かなだけなのか……。

いろいろと考えさせてくれます。相変わらずですが。
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2005.05.08 本文加筆修正・たぶん後でまた追記
posted by moon1307 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | DESTINY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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